私はこうしてハムになった(jf2ufz)
私とアマチュア無線・・
若い頃から身体を動かすのが大好き人間です。
最初にアマチュア無線を知る前の話をします。
私は機会あるごとに盆踊りなどで各地に出向き参加していました。
そんな中で、年中踊れる場所を求めて当時盛んだった青少年ホームで若い人たちで構成するサークル活動に入会してFBなYLさんとも巡り会えるチャンスを求めて楽しい日々を過ごしていました。ところが最初は上手く踊れずに足元ばかりが見えている状態が続きましたが練習の成果もあり、少し上達すると欲が出て、今度はサークルを立上げてしまうほどで、近くの公民館にお世話になったのでした。
いつしか教える立場になり、さらに上達をと東京や大阪など大都市でのレッスンに参加したのでした。最初は単独でマイカーを走らせていたのですが数年後には仲間を誘い数台で移動したのです。当時は、ラジオのアンテナに赤や黄色のリボンを目印になびかせてグループ走行するのが普通でした。
もちろん携帯電話も無い時代でしたから、簡単なワイヤレスマイクを使っても数十メートルでアウトとなり不自由の連続で困り果てていたのです。
その後に偶然にもJA2***さんが中学校の先輩だったことを知り教わりながら無線の勉強に励みました。そして晴れてアマチュア局を開局したのでした。
単に連絡用にと始めた無線ではありましたが、やりだしたら楽しくなり色々な知識を増やしました。なかでもモービル運用に熱中し友人から八重洲のFT75を譲り受け、さらに父親の助けを借り旋盤でステンレスパイプに3/8インチネジを加工したマストを使っていたことがあります。このアンテナ製作にはコイルの巻き数が微妙に関係し長かったり短かったりで苦労したものです。トップに当たる箇所には既製アンテナである2mバンドの5/8λを利用していました。
難しい折り曲げ加工には幸いと機械が利用できて助かりました。
さて、このアンテナを車に取り付けるわけですが、重量と長さがあるのでしっかりとした基台が必要で、モズレーのスプリング基台を使っていましたが当時は大変高価なものでした。マッチングにもひと苦労でカツミのBOXを使いました。
こうして自作の立派なモービル専用アンテナを完成させていたのです。
自宅では銅線を単価30円で購入し、逆Lアンテナで楽しみました。
1年ほどした頃、HL(韓国)のYL局である大学の社団局と交信ができ、相手局の流暢な日本語でQSO出来たのです。私は「インスタントQSO」なる本を見ながら背中に大汗をかきながら話していたのを覚えています。これが初めての国外QSOであり印象深い思い出です。
最後に、私の楽しむFD(フォークダンス)には世界各国の民族舞踊があり日本にも連盟があります。その点は無線のJARLと似ているのです。綱領も似たところがあり「国際的や紳士的や会場を大切にする」などの項目があります。私も来日したダンサーとともに各国の踊りを学んだことがありますが、アマチュア無線と共に今でも大切にしたい趣味となっています。
懐かしい若いころの思い出を投稿させて頂きましたが今後ともお付き合いを宜しくお願いします。
(報告)JF2UFZ 鈴木正司