私はこうしてハムになった(ja2mgx)
小学5年生の時に小学校の放送クラブに入り、お昼や帰りの会などで担当の先生の指導により音楽を流したり、お知らせ等を放送していました。夏休みにその先生が「ラジオを作ってみないか?」というので、初めて半田ごてを握り、鉱石ラジオというものを作りました。イヤホンから音楽が聞こえてきた時の感動は今でも忘れられません。これがきっかけでラジオとか無線というものに興味を抱いたことを昨日のことのように思い出されます。
当時指導いただいた先生は、もうこの世にはおられませんが・・・・
また当時、テレビで「ハローCQ」という番組が放映されており、毎回楽しみに見ていました。「自分もこんなことやってみたいな!」と思いながらも、具体的には動き出すことはありませんでした。またラジオだったかテレビだったか忘れてしまいましたが、コールサイン「JA1CYA」というYLさん(名前を失念してしまいました)が、「チャーミング(C)・ヤング(Y)・エンジェル(A)」ということを言いながら放送していたことから、自分でも「アマチュア無線をやってみたい」という気持ちがふくらんできたような記憶があります。しかしながら、近くにハム(アマチュア無線)をやっている人がいなくて、どのように勉強したらいいのかわからずに月日だけが過ぎていきました。
高校に入学してから「無線クラブ(呼出符号:JA2YFT)」に入り、そこで先輩方に色々指導していただき、当時の電話級アマチュア無線技士の試験を取得するため名古屋の電気通信工学院に出かけました。幸い、合格して「CRN-○○○」という免許証をいただきました。Cは東海管区(静岡、愛知、岐阜、三重)、Nは電話級を表すということを後で知りました。その後、局申請して呼出符号:JA2MGXという免許状をいただきました。無線機はトリオのTX-88D(送信機)と9R-59D(受信機)というキットを買って、一気に作った記憶があります。受信機はすぐ働いたのですが、送信機はなかなか動作せず苦労しました。VFO(Variable frequency oscillator)は、小遣いが足りずに買うことができず手作りをする羽目になってしまい苦労して自作いたしました。これを自作したことにより自信がつき、アマチュア無線技士としての活動に励みがついたものと考えています。
その後、電信級の免許証(CSL-○○○:Lは電信級を表す)、第2級の免許証(CACI-〇〇〇:Iは2級を表す)を取得し、CW通信(英文字アルファベットのみ)も積極的に運用しておりました。当時、第1級についても勉強を始めたのですが、和文45字/分の送受信がネックになって断念しました・・・・・。
年齢が70の大台にさしかかり、脳トレーニングのために和文(イロハ・・・)を再開局しつつあります。みなさんよろしくお願いいたします。
(レポート)JA2MGX 井上哲雄