井深 大 さんのこと

ここに一冊の書籍を紹介します。(内容の一部は書籍から引用しました)
まだ戦争が勃発していないころ、のちに知られるようになったアマチュア無線界の先人は「日本光音工業」で真空管や軍の音響機器の製造に従事していました。井深 大 氏、昭和12年(1937年)のことです。そして、ブラウン管と真空管部門を独立させて「日本測定器」という会社の設立に参画して常務として経営陣に加わり、軍需品を製造していた月島工場で、当時、海軍中尉であった盛田昭夫氏と出会ったのです。これが昭和16年(1941年)のことです。
終戦を昭和20年に疎開先の長野で迎え、東京に戻り7人で「東京通信研究所」を設立し、これを発展させた「東京通信工業株式会社」を設立。のちのソニーです。井深 大(まさる)氏38歳のことです。
社長は、前田多門 氏(奥様の父)
専務取締役、井深 大 氏
常務取締役、盛田昭夫 氏
ここで、盛田さんは皆さんご存じのように名古屋市白壁の出身であり、常滑にある「ねのひ」とい造り酒屋が実家です。愛知県のハム仲間ではよく知られています。
本題に戻りますが、井深さんは少年の頃からアマチュア無線が趣味であり色々なものを考案した発明家でもあり、パリで開催された万国博覧会で出品した作品で優秀発明賞を受賞されています。
この書籍は、以前に発行された「創造への旅」(佼成出版社1985年)にご子息である井深 亮さんが加筆されてお父様が亡くなられてから復刻されたものであり株式会社グラフ社から発行されています。
228ページハードカバーのしっかりした単行本ですが、何と第1章には「無線少年を育んだ日々」として80ページを割いて記述がされております。
一度は眼を通されてはいかがでしょうか。
アマチュア無線で培った発明心や工夫が詳細に書かれています。
言うまでもなく井深さんは、のちにソニー会長をされておられます。
なお、井深さんが戦前に使用されていたコールサインはJ3BBです。
ネットで検索すると何でも調べることが出来て便利な世の中ですが、時にはこのような印刷物も読まれると書籍の価値が実感できます。ネット画面でみる一過性の情報は脳への刺激が弱く思えてなりません。新型コロナで自宅待機が多い中で気付いたことです。
ゲームで毎日を過ごしている最近の子供たちにぜひ一度読ませたい一冊です。
(レポート:JR2MHV とみおかたくみ)