パソコンOSはこんなに変わった(続)
当時の米国は東海岸と西海岸とでは、まるで違った発展をしていたのです。
要するに、太平洋戦争が収束して軍事工場などで働いていた技術者たちの多くはその地で就職先を求めてロッキード社などが構えていたシアトル付近からカリフォルニア近くに移住します。色々な人材がカリフォルニア州には集まり、工学で有名なスタンフォード大学と関わりを持ち始めます。その中には、HP社を創業したヒューレットさんやパッカードさんもいます。やがて当時の政府は電子産業を国の政策にに掲げて、サンタクララ郡パロアルト付近に新興産業のための工業団地を設け、次第にその地が「シリコンバレー」という愛称で呼ばれるようになったのです。シリコンとは半導体に用いる素材のことです。化学元素のケイ素です。
安く土地を提供し、多くの関連企業が集まるのでまたたく間に広がり、半導体事業のメッカとなっていたのです。。
1973年のことです。当時発売になった8080を直ぐに応用して一人の若者がポンというビデオゲーム機を販売する会社を立上げて「ATARI」と名付けます。このブッシュネルという若者は日本の囲碁ファンだったために、囲碁用語を社名にしたのです。
ここからが大事ですが、1976年にスタンフォードの大学生を雇います。その若者は、大学を中退してこのゲーム機の会社に没頭してしまいますが、何とその若者とはのちにアップル社を立ち上げたスティーブ・ジョブズという学生でした。彼の友人で当時のコンピュータクラブでの同僚だったスティーブ・ウオズニアックの力を得てATARI社は順調に業績を伸ばします。
その後、二人は8080よりもっと安い6502(モステクノロジー社)のプロセッサでアップルコンピュータの原型を試作しますが、のちにアップル I として発売します。当時はすでに競合となるコンピュータが出かかっていたのであまり評判は良くなく、改良を加えてアップル Ⅱ に進化させました。デザインも良かったのか爆発的に売れました。
この頃には日本でもアップルファンが出来て、私も2台ほど購入しましたがとても高くて小遣い銭は吹っ飛んだのを覚えています。参考にですが、本体は16K(けいと読む)バイトメモリー付きで48万で今では想像もつきません。ソフトは全てテープレコーダーから転送していました。
ここでぜひ覚えてほしいことですが、ジョブズと一緒にアップルⅡを開発したウォズニアックは熱心なアマチュア無線家で、コールサインはW6BNDです。どちらかと言えば、ジョブズは経営が得意でありウォズニアックはコンピュータ技術者だったのですが、彼は少しいたずらが好きで問題のある男でした。
画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: Steve-Jobs_Steve-Wozniak_Apple-II.jpeg
当時のドライブ開発の様子をメディアが紹介した写真
この頃に、アップル社は米国にあったコンピュータ機器のバーベイタム社に依頼して、アップルⅡ用のディスクドライブを開発させました。当時の大型コンピューターの記憶装置はハードディスクだったのですが、世界で初めてペラペラのフロッピーディスクという媒体で動作するものを販売します。この時にどうしてもディスクドライブを動作させるソフトウェアが必要となり、DOSの概念を取り入れます。この用語をアップルDOSと名付けROMという半導体メモリーで搭載させたのです。このDOS(どすと読む)こそパソコン用OSの始まりになったわけです。
また8080用コンピュータにはCP/Mというデジタルリサーチ社の開発したものが出回っていましたが、このアップルDOSが使いやすかったのでアップルⅡとともに人気が出たのです。
のちになり、アップル派とPC派となりしばらくは対立します。
(まだ続きますがとりあえずここで)